上野神社の由緒  

上野神社は古くからこの地方の守護神として鎮座し、その創建は詳らかではありませんが 古伝によると第二十一代 雄略天皇の頃、桐原郷内上野山に住む蒲生物部の

宿弥高比古という射術の名人がある日狩りに出ると一転にわかに掻き曇り、地鳴りして走行困難となり地に伏して嵐の去るのを待っていたところ目前に白髪の翁が現れ

五穀豊穣村内安泰のご神託を告げ賜れ、高比古これを御神徳と畏みて此の所に社殿を建てて神を祀ったのが始まりと伝えられております。 

その後、延暦元年(平安初期) 伝教大師が社殿を修理し須佐之男命を守護神とし更に七堂伽藍をお建てになり神佛ともにお祀りになりました。

その後、近郷豪族の争いで廃墟となった社殿を近江之守 六角義實が再興を計り村人衆人の浄財、助力を借りて明応八年(室町後期)社殿が再建されました。

その後も幾多の変遷を経て、 上野山に祀る神 午頭天王 桐原郷七ケ村の産土神として、氏子の皆様の厚い信仰をいただいて今日に至っております。             

往時の祭礼には神馬の騎射が行われ、その後も長らく神馬の渡行が続いておりました。

なお、下記のように御祭神が多いのは明治四十三年 旧桐原郷七ケ村に祀られていた祭神を総氏神として合祀したからです。

<御 祭 神>

      須佐之男命、 大国主之命、 菅原道真公   

天照皇大神、 伊邪那岐之尊、 伊邪那美之尊、 建御名方之神(たけみなかた)

     市杵島姫之命(いちきしまひめ)、 大山祇之命(おおやまつみ)、 草野比売命(かやのひめ)

     須佐理比売命、 豊受気比売之神

         

                                                                             〒523-0045 滋賀県近江八幡市安養寺832-1    上野神社 


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